札幌公演 シゲさんレポート
2013年3月22日(金)〜24日(日)
今回の札幌公演、実は、2012年11月25日の新潟上越高田公演の日に決まった。いや決まってはなかったが、舞台を見てスグに『福島さん、やりましょう。』と、若干フライング気味に決断した人がいた。札幌再演の実行委員長である加納さんだ。
札幌では、2012年12月にクリエイティブオフィスキューさんが主催の【東日本大震災復興支援企画】というカタチで上越高田公演の10日後に決定してた。つまり、まだ、札幌での初演をしてない時に『再演、やりましょう』と加納さんは言ったのだ。

かいつまみ過ぎるぐらい、かいつまんで書くと、オフィスキューの鈴井亜由美社長から、復興支援の活動を続けてる加納さんが、この舞台の話を聞き『亜由美さんに、札幌での公演を見て欲しいって言われたんだけども、直感的に、早く見なきゃいけないって思って』と、札幌から新潟まで飛行機で、新潟空港からレンタカーで上越高田の公演を見にきてもらったのだ。たしか、初対面の時に、挨拶をする前に『どんだけフットワーク軽いんですか!』と、突っ込んだのを覚えてる。そして加納さんは『12月の公演で、実行委員をやってくれそうなメンバーを、たくさん連れて行きます。なので、その時に再演の話をしましょう。じゃぁ、飛行機の時間があるので!』そう言ってレンタカーで帰っていった。
あまりの電光石火の初会合?に、ホントに再演は実現するのか?とも思った。しかし、フットワークも軽いし、その後の動きもホントに早かった。そして、沢山の人を巻き込んでいく力を持った人だった。もちろん、これまで、どこの公演でも『この舞台やりましょう!』そう言ってくれた人たちは、みんな、短期間にたくさんの人を巻き込んで公演を迎えてくれた。

札幌再演の時には、札幌で活動する演劇ユニット『イレブン☆ナイン』のみなさんが仕込みから客入れ、そしてバラシまで手伝ってくれた。今回の劇場であるコンカリーニョの事を知り尽くしてるメンバーなので、仕込みもバラシも早い早い。そこへ、富良野から強力な助っ人・・・いつもの2人(太田工場長と、舞台監督のキューさん)が豪雪の中、ススキノで美味しいモノを食べるために、いや、舞台転換に重要な幕を引っさげて駆けつけてくれた。さらにコンカリーニョの代表理事である斎藤ちずさんや劇場スタッフのみなさんの全面バックアップのおかげで、キャストの3人は、正直まったく働かずに、食べて休憩して、休憩して食べて、ちょっとセリフ合わせて・・・いや、稽古だけに集中して本番を迎えさせてもらった。そして600人以上の人が、観劇に足を運んでくれた。

前回の札幌公演で300人以上の人に、今回の札幌再演で600人以上の人に、合計900人・・・
札幌では900人以上の人が【イシノマキにいた時間】を見てくれたのだ。
上越高田の会場で初めてお会いした日、ハヤテのように現れてハヤテのように去っていった加納さんは、ずっと『人の繋がり』を大切にされてきた。今も東北の復興支援に限らず、コレカラのコトを考えて、フットワーク軽くネットワークを広げて活動されてる。きっと、繋がりをライフワークにしている『札幌のワークマン』なんだと思う。
札幌公演 制作レポート
春だというのに北海道には、何度となく大寒波が押し寄せていた。私達も3月の公演だからと安心していた部分があったが、札幌入りしてみると冬と変わらぬ積み上がった雪の多さに驚いてしまった。そんな中、アイスバーンを富良野から札幌まで、命がけで車を走らせ手伝いに来てくれた富良野演劇工場のお2人、飛行機が無事に飛ぶかどうか心配しながら駆けつけてくれた吉俣良さん。全員が無事に劇場に揃うまで、ドキドキだった。皆、無事で良かった。
(帰路は電車のストップなどハプニングが…)
シゲさんレポにもあるように、今回実行委員長・加納尚明さんは元々、障害者支援、育児支援など様々な社会貢献活動をされている方で、その温かい優しさと疾風の行動力!で、札幌再演の準備にあたって下さった。
少ない公演回数と限られた予算、何人のお子さんを何人の体制で受け入れるか等、簡単に出来そうで意外と踏み切れない託児付き公演。会場であるコンカリーニョに隣接するまちづくりセンターの一室をお借りし、お子さん達には自由に遊べる空間を。親御さん達には安心して観劇を。