新潟胎内市公演 シゲさんレポート

2015年11月28日

新潟県胎内市公演

新潟県胎内市のホテルで働く池ちゃん。

2015年4月の新潟公演の時は、結局会えなかったが、楽屋に『なんとか実現させたい。いや実現する。』という置き手紙というかメモを置いて帰っていった友人・池田真一くん、通称、池ちゃん。

池ちゃんとの出会いは、20年以上前。チョコマカ動く子役がいるなぁと思っていたら・・・池ちゃんだった。たしかイヌの着ぐるみに入って顔だけ出してた。それが・・・池ちゃんだった。本人は160センチあると言ってるが、見事に小型犬を演じきってたからなのか、僕には100センチないように見えた。そんな小さく見えた・・・池ちゃんだった。決して、人としての器が小さく見えたワケではない。あくまでも背丈が小さく見えたのだが、それも昔の思い出なので曖昧だ。

池ちゃんとは、同じ舞台で共演するかもと思ったことはあったが、舞台を企画する側と、演じる側で会うとは思っていなかった。

 

池ちゃんは、【イシノマキにいた時間】を2012年3月、3人芝居になった時に見てくれた。その時、僕たちは、この舞台をこんなに続けられるとは思っていなかったし、そもそも、続けようとも思っていなかった。その後、たくさんの方に背中を押してもらい、もちろん、最初に背中を押してもらったのは石巻の人たちであり、ずっと応援してもらっている吉俣さんや、様々なアーティストのみなさん、各地での公演を見てバトンを受け取ってくれた実行委員の人たち、そして何よりこの舞台を見てくれたみなさんの他力によって、背中を押されて続いている。池ちゃんも、ずっと応援してくれていた・・・と思う。

 

役者であり、脚本家でもある池ちゃんが、2014年に、いろいろな葛藤を抱えて実家のある新潟県胎内市に家族みんなで引っ越した。そして胎内市にあるホテルで働きながら、地元のPR映像を製作したり、サッカー場でのMCをやってたり、東京や全国で舞台に出てたり、脚本を書いてたり・・・という、新潟にいながらアグレッシブであり、ちゃんとホテルでは働いてるのか?というミステリアスな活動をしていた。

そんな池ちゃんから本格的に『新潟でやりましょう。』という熱いメッセージと一緒に【企画書】も届いた。イヌの着ぐるみに入っていた池ちゃんから、ちゃんとした企画書が届くとは思ってなかった。2015年6月だった。

 

新潟県胎内市が、福島県南相馬市から避難、移住された方々を積極的に受け入れ、またシッカリ根をはった仕事や生活を、安心して出来るように支援を行っている事、そして避難、移住された方々が「被災した苦しみ」と「今も変わらない現実」を忘れないために『今、自分に出来ることは何か』を考えていると書かれていた。

その後、池ちゃんと何度かメールのやり取りをしながら、押しの強さにやられた。その時に送られてきたメールには『見切り発車でGOサインだけいただけないでしょうか?』と書かれていた。しかも2回も。

『見切り発車でGOサインだけいただけないでしょうか?』

『見切り発車でGOサインだけいただけないでしょうか?』

オンセン、あります。

そんなメールを見て笑いながら、池ちゃんが書いていた『今、自分に出来ることは何か』という企画書を思い出し、すぐに電話して『やりましょう』と返事した。

 

新潟、胎内市での公演は、準備の段階では、ものすごく大変だった。会場が、ホールではなくホテルの宴会場だったために、準備段階で、音響や照明の施設がどこまで使えるのか、舞台をより見やすく設営するために必要なモノ、なにより、オッサン2人、ポッチャリ1人の舞台を胎内市の人たちが見たいと思うのか、しかもそれが震災のお芝居なのだ。他にもいろいろなアクシデントがある中で、池ちゃんはホテルの業務をやりながら、チケットを持って走り回ってくれたり、そんな池ちゃんを見て、ホテルの従業員、パートのみなさんが、チケットを持って走り回ってくれたりしてくださっていた。
ただ、よく考えたら、4年間、どこもずっとそうだった。

胎内市での公演は満席で、宴会場の舞台も、素晴らしい環境を整えてくれた。そして、この公演の収益はすべて、胎内市の学校教育資金(復興学習支援・ボランティア教育費)として寄付された。収益の一部ではなく全額・・・ホテルにとって利益ゼロの公演で大丈夫なのかと思ったが、舞台が終わってから、池ちゃんの上司の方が僕たちキャストに「池田を信じてよかったです。素晴らしかったです。ありがとうございました。」と言ってくださった。利益ゼロでも大丈夫のような気がした。

後日、池ちゃんがFacebookに書いていたコトバです。

【イシノマキにいた時間】のバトン、しっかり受け継ぎました。被災地への想いは残し、バトンは次の12月2日の公演地、北海道当麻町の皆さんへお渡し致します。だけど、僕の手元にはまだもう一つ、バトンが残っているような気がします。それはたぶん、この公演をキッカケに、ホテルから、胎内市から、色々な文化を発信していくためのバトン。このバトンを持って走ることが、今回の全てのスタッフ、お客様、応援して下さった皆さんへの恩返しであり、僕の使命だと思っています。握りしめて、走り出します。

池ちゃんは、今も胎内市のホテルでの業務を真面目に?やりながら、MCをやったり、脚本を書いてたり、胎内市の米粉パンのPRをしていたり、なんともアグレッシブ&ミステリアスに動きまくっている。

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