新潟公演 シゲさんレポート

2015年4月17日〜18日

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

公演の1ヶ月以上前、新潟のテレビ、ラジオ、新聞、雑誌など、たくさんのメディアで取材をしてもらえた。実行委員長の中村さんが、事前に色々とセッティングしていただいたので、1日をフル稼働して、朝から新潟市内のアチコチを車で回り、昼は新潟名物タレカツを食べることも出来た。古町の商店街や、いろいろなお店など、たくさんポスターも貼っていただき、そのおかげで、何年も不義理をしていた友人や知人から連絡が届いたし、公演当日も、ボランティアで一緒に活動していた懐かしい友人が、突然現れて再会することが出来た。全国各地の公演先では、僕たちの方が、実行委員さんたちのおかげで繋いでもらう事がある。

1日取材してもらうと、自分の中で何度も『あの頃』のことを思い返して考えさせてもらえる。いつも考えるのは、この公演は誰のためにあるのかを考える。その中には少なからず自分のためというのがあることも感じる。

これまでも、全国各地の実行委員のみなさんには、いろいろな想いを持って、この舞台に取り組んでいただき、石巻という町を知ろうと、感じようとしてくださる。それが、初演から3年以上ずっと続いて繋がっているように思う。

半年ぶりの【イシノマキにいた時間】だったこともあり、稽古場ではものすごく悩んだ。この舞台は2011年11月頃から2012年になった頃までの時期を伝えている。ただ、震災から4年が経って色々と変わってきているのに、それを無視して『あの頃』だけを伝えることは違うんじゃないかと思って悩むし考える。

これまでも、セリフや演出を少しづつ変えてきた。それは、毎回の公演でやってきたことで、この舞台に再演はないと思っているし、舞台を作る上で少し矛盾するのだけれど、セリフを覚えてはいけないと思っている。

セリフではなく会話でないといけないと。会話、会って話をする。だからというわけではないが、稽古場では雑談が多い。会って話をする。それはきっと稽古や演劇に限らず、ふだんの生活でも大事なことなんだと思う。

今回は、今までで一番大きく会話を変えた。登場人物は3人であるが、その3人の中には、これまで出会った何十、何百、何千人のボランティアの想いや、コトバが入っている。それは【石巻通心】を書いてきた中で出来た作品であるからだ。

ヒロキ、ヤス、ヒトシ。見ていただいた方には分かると思うが、3人の中で唯一現在進行形であるヒトシは、この作品とともに年齢を重ねていく。彼が重ねていく年齢は震災後◯年となっていき『あの頃』から、どうやって過ごしてきたかを考えないといけなくなる。そういう意味で、今回の新潟公演は、震災後4年が経った初めての公演であったので、これまでで一番変わったのだと思う。

4年が経って、被災地は、石巻は、どう変わっていってるのか?

きっと、多くの舞台がそうであるように、この舞台も稽古場での過程が大事だと思っている。だれもが納得する舞台というのは難しく、見る側の想いによって当然賛否が出てくるわけで、それは、もしかしたら復興とも重なる部分かもしれないとも思う。僕たちは、公演前に石巻に行く。あの頃は石巻に居たのだが、今は石巻に行く。

伝えるということは、同じ事を届ける事ではありますが、届けながらも感じることではないかと思うのです。これからも感じながら伝えなければと思っています。

 

前列、左から2番目が今回の新潟実行委員長、中村美和さん。その隣のオレンジのツナギの方は、前回の新潟実行委員長で、今回もお手伝い下さったマル丸山さん。
前列、左から2番目が今回の新潟実行委員長、中村美和さん。その隣のオレンジのツナギの方は、前回の新潟実行委員長で、今回もお手伝い下さったマル丸山さん。

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