愛媛公演 シゲさんレポート

2014年5月31日~6月1日

 

 

 

 

 

活動報告の前に、朝さんぽ報告。

これまでの全国公演では、あまり、その土地の観光場所を回る事も出来ず、もちろん観光旅行に来てるワケではないという思いも強かったのだが、帰りに少し寄り道をして、その町の風景をiPhone4Sで撮るのが精一杯という感じだったのだが「それは少し違うかも」とも思った。もちろん圧倒的に時間が足りてない事もあるが、大半は、時間がないのではなく、ちゃんと時間を使えてないのだと思ったし、決して観光旅行ではないが、石巻のコトを知って欲しいと思っている自分たちが、訪れた町のことを知らないというのは、少しどころか大きく違う気がした。もしかしたら、それだけの余裕が出来たのかもしれないが、町に出て、見たり聞いたり感じたりする時間は、自分で作るものだと思った。そして、僕が見たいのは観光場所というよりは、その町を感じられる場所だとも思った。

愛媛・内子座公演は、舞台とは別の場所(歩いて2〜3分の場所)で、写真展も開催させてもらえたので、写真家の鈴木省一くんが、軽ワゴンに写真パネルと想いを乗せて石巻から愛媛の内子町まで、ひとりで運転してきた。そんな省一くんも朝に強いオッサン、いや、ふたりとも、もはやジイちゃんレベルで、早朝から起きている。なので、自然とふたりでの朝の行動になった。

5月31日は、5時半に朝さんぽ、6月1日も6時前に朝ドラ(朝のドライブ)に出かけた。自分たちが繋がることの出来た町に景観条例があって、看板の色に制限があったり、古きよき芝居小屋が、取り壊しになるところを内子町の人たちの熱意で復元された歴史を知ったり、静かな朝、まだオープンしてないお店の入り口や窓に、たくさんの【イシノマキにいた時間】のポスターを見た時に、実行委員のみなさんの熱いキモチを感じられたような気がした。そして、内子町が誇る景勝地の数々。

きっと内子町を知るというコトは、石巻を知ってもらう、感じてもらう、想像してもらうコトと同じなんだと思った。

 

弓削神社(内子町石畳)の近くに、稲作の棚田があった。省一くんは、その中の小さな敷地の水田を指さして「ちゃんと苗にそって足跡があるんですよ。あたり前なんだけど、あの狭い敷地にはトラクターなんて入れないから、田植えは手作業でやってるんですよね。」シッカリ踏み込まれた足跡を見ることで、その先に見えてくるモノがある。省一くんは、いつも、そうやって風景を見ているんだとも感じた。すべてを震災と繋げるワケではないが、石巻や被災地にも、残された風景、失われた風景の先に見えてくるものを感じるコトが必要だと思う。

大正5年2月(1916年)に創建された内子座。劇場というよりは芝居小屋と呼びたくなる雰囲気で、歴史には、重みがあり、尊さもあり、そして、新しく重ねていかなくてはならない使命もある。お芝居というのは、町の人に育ててもらうものでもあり、この【イシノマキにいた時間】という芝居は、全国の人たちに育ててもらってきた。

内子町で育ち、内子座でのお芝居を育ててこられた稲月さんや林さんが、実行委員長であり実動委員長として、ずいぶん前から【イシノマキにいた時間】を育てる準備をして下さっていた。町じゅうに貼られたポスターや、高校生が日曜日に団体バスで見に来てくれた事、舞台を見終わったお客さんが、稲月さんと林さんに笑顔で声を掛けている光景を見ると、きっと、その何倍もの人に声を掛けて、この舞台に誘って下さっていたのだろうと思う。もちろん、稲月さんと林さんだけではなく、たくさんの実行委員のみなさんが、そうして、この舞台を迎えてくれた。いつも実行委員のみなさんには感謝である。

 

全国どこの公演でも、みなさんが言ってくれる。「この舞台は、地元で見てもらってからがスタートです」と。だから、ずっと繋がっていられる。そして、次の公演に行くと、僕たちは、その輪が広がってるコトを強く実感する。それが、また次へ向かうチカラになり、いつもたくさんの人に背中を押してもらっていると感じて前に進めている。そして、イチバン背中を押してくれているのは、劇場に、芝居小屋に足を運んでくださったみなさんです。ありがとうございました。

 よっさんレポート

今までに、全国各地で上演させて頂いていますが、上越高田の高田世界館、熊本八代の日奈久ゆめ倉庫、仙台のせんだい演劇工房10-BOXの公演は、22年前にとある劇団の研究生だった頃の同期の仲間たちが実行委員を立ち上げてこの作品を呼んでくれたのでした。

そして今回、内子町の内子座での上演も、出ました同期パワー!(笑)
現在は松山からフェリーですぐの興居島(ごごしま)に住む、通称ユッコ。彼女の発言が発端だったのです。しかもユッコの場合は作品は観ていません(笑)実行委員会も立ち上げていません!その上、昔は内子町に住んでたのですが今は住んでいないのです!!
今までのマル丸山や章二やマリコとは全くアプローチが違うのです。ユッコはボクらの活動をフェイスブックなどで見ていて、昔から知り合いの内子座の林さんに観てもいない同期の仲間の活動を信じて。『林さんにお願いがあります。「イシノマキにいた時間」を内子座で上演して下さい。私が説明するより、ホームページを見れば活動内容がわかりますので』とお願いしたそうでした。そのヒトコトから始まり、また行動力がある林さんは名古屋公演を、実行委員長の稲月さんは東京公演を観に来てくださって、作品を観たお二人が実行委員会を立ち上げたので愛媛公演が実現したのでした。。。

しかもですよ、林さんからは町民から『「イシノマキにいた時間」を内子座でみたいと云われまして、それで作品を観て』と云うコトしか聞いていなかったので、始めに云い出してくれたのがユッコと知ったのは本番の二ヶ月前でした(笑)結婚して名字も変わっていたし、ユッコもボクには云わなかったので全然気づきませんでした。陰で行動して周りを動かせて実現してしまうなんて、なんかちょっとユッコが無血倒幕を成し遂げた坂本龍馬に見えましたよ(笑)地元にこの作品を呼ぶ新しい作戦でした。

15年振りぐらいに会ったユッコは三人娘のお母さんになっていたけど、相変わらずサッパリした性格の、肝っ玉母さんになっていました。
ユッコは云っていました。『内子にも若者を引きつけるような文化を発信しなきゃだめなんだよね〜!』と。住む環境や仕事が変わっても、演劇をやっていた人間は、演劇の大切さを知っているんだなぁ〜。。。
改めて、演劇や伝えるコトの重要さを感じた、感慨深いコトバでした。

当日も、地元の高校生や大学の演劇部の若者たちが沢山観に来てくれていたのを見てユッコも喜んでいました。
いち元町民が内子町の為に云ったヒトコトを聞いて行動して下さった実行委員長の稲月さん。副委員長の林さん。町中にポスターを貼って下さったり、お客さんを呼んでくれた実行委員の皆さん。そして全国各地で後方支援の他力本願システムで宣伝活動をしてくれた皆さん!!本当に有難うございました!!愛媛といっても松山から離れた、内子町と云う田舎町にあれだけ沢山の方々が足を運んで下さったことに心から感謝します。

最後にユッコとの別れ際、『今回本当にアリガトウな』と云ったら、『ワタシは何もしてないよ。やっぱり林さんたちあっての今回の公演だよ。こういう芝居観るとなんだか元気が出るね!良かったよ。有難う!』って。。観てない芝居を信じて呼んだ同期のコトバ。カッコ良すぎるわ(笑)嬉しかった。。。アイツ、ホントに坂本龍馬かもしれない。。。

石倉良信

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