名古屋公演 シゲさんレポート

2013年12月6日

 

 

 

 

 

中京大学教授のキム・ギョンモクさん(当時は准教授)とは、石巻で出会い、石巻通心でも毎号『ボランティアの先に』というコラムを書いて頂いてた。自分は、周りの人を『巻き込み型』の人間だと自覚してるが、ギョンモクさんも、それはそれはタイヘンな『巻き込み型』の人で、たくさんの人たちを、この舞台に引き込み、連れ込んで・・・いや、誘って下さった。

2012年6月の仙台公演を、名古屋から見に来て下さったギョンモクさんから、終演後スグに「是非、名古屋でやりましょう!」と言われた。そこから、劇場を決めたり、実行委員会の発足などのスピードは早く、もぉ、ギョンモクさん、巻き込む巻き込む。

(左)渋谷先生 (右2人目)キム先生 (右)協力者の市野さん

(左)渋谷先生 (右2人目)キム先生 (右)協力者の市野さん

この舞台が繋がっていくキッカケは、いつも見に来てくれた『ダレか』の「是非、◯◯でやりましょう!」というコトバで、その声を上げてくれる人たちの職業が様々なのがオモシロイし、本当に魅力だと他人事のように思う。これまでにも、公演直前に取材をしてもらったり、ラジオ、テレビに出演させてもらったり、資料を渡して記事を書いてもらったりしたことはあるのだが、ギョンモクさんは、公演1ヶ月ほど前に名古屋でのキャンペーンを計画し、協賛企業、新聞社、ラジオと、一緒に回って下さった。その中には大学の教壇で喋るという、未知の経験もさせてもらい、そのおかげで、たくさんの大学生が協力してくれた。というか巻き込まれていた。その中には、同じく中京大学の国際教養学部で宮城県出身の渋谷努先生もいらした。渋谷先生と初めてお会いしたのも石巻だった。

名古屋公演は、色んな意味で過酷な公演だった。平日に2回公演、東京以外で初めて写真展と物産展も同時開催のISHINOMAKIフェスティバル、略してイシフェス。その写真パネルと石巻の美味しいもの、想いの詰まったものをワゴン車に積んで、石巻から800キロの大移動(往復1600キロ)を、写真家・鈴木省一くんと走破。この時の模様は、是非、ブログでも見ていただきたい。

公演終了後、今回の公演で、完全にギョンモクさんに巻き込まれた男の一人で、熱い男の村瀬くんが、公演後の食事会の時に『再演をやります。自分が実行委員長で・・・』と、巻き込まれた勢いの流れで言ってしまってた。

そんな村瀬くんから、新年早々に、名古屋公演の実行委員長になって、すでに第一回の『キックオフ会』を開いたという連絡を受け、ここにもう一人『巻き込み型』の熱い男が誕生した。

本当に、こうして繋がっているんだと感じている。これから、どこまで繋がっていくのだろう?という期待もあり、とても嬉しい思いが溢れてるのだが、いつまで、このままの作品で繋がっていくのがいいのだろう?という思いも持っている。それは、ボランティア活動をしてた時の、いつまで、誰のために、どんな支援を?というのにも少し似てる気がする。活動のカタチが変わっていったように、きっと作品のカタチも変わっていかなければいけないのだろうとも思っている。

今は、伝えたいという気持ちの方がまだまだ強いのだが。

全国各地での公演当日、また仕込みの日や、他にも『トモ食い』という定期的に石巻の美味しいモノを紹介しているポッチャリ・田口智也が『イシノマキにいた時間』のブログでレポートしてます。こちらも、是非。

 名古屋公演 制作レポート

 

 

 

 

 

大学の先生が実行委員長、それも「ボランティア論」などを専門に研究されているギョンモク先生の先導による名古屋公演は、たくさんの学生さんや、ボランティアに関して意識の高い若い方々が参加してくれ、とても特徴的な公演となりました。

公演の前と後に、シゲさんや出演者が、大学でお話をさせて頂く機会を儲けて頂けたことは、キャストや私達スタッフにとっても貴重な体験でした。石巻でボランティア活動をしていた頃のことから、こうして舞台を続けていることに至るまで、教壇のギョンモクさんは、あらゆる角度から、鋭く質問を投げてくださるのです。それに応える言葉を探し、学生さんの前で話すということは、自分達自身も、当時を振返ったり、今やこれからを再確認できる、とても良い時間となりました。何より、話しを真剣に聞いてくれた学生さんが、被災地について、ボランティアについて考え、劇場に足を運んでくれたことが、本当に嬉しかったです。一方通行ではない、双方向の教育の場を体験させて頂きました。

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