北海道公演 シゲさんレポート
2016年10月29日〜11月14日
舞台の前は、いつものように3人で稽古をします。東京の稽古を終えて、富良野での通し稽古は10月26日からだったので、合宿のような約20日間を過ごしました。11月5日からは写真家の鈴木省一くんも写真展の準備のために富良野に滞在していたので、森の中にある太田家(富良野演劇工場の工場長宅)では、オッサンだらけの共同生活でした。
もちろん、4人共いい大人ですから、家主である太田工場長にはもちろんのこと、お互いに気を遣ったり遠慮したり譲ったり譲られたり譲らせたりの共同生活で、今風に言うとシェアハウスみたいな感じ?工場長がいるので、照らすハウスでもありましたが、オッサンだらけの生活は、3日を超えると基本的に鬱陶しいです。
朝は、太田家恒例の体幹トレーニングから始まります。もちろん強制ではないのですが『やらない』とか『できない』というチョイスをさせない雰囲気だったので、田口くんは、もはやトレーニングになっていない妙な動きで参加していました。
トレーニングの後には、美味しい珈琲が待っています。それを楽しみに、みんな厳しいトレーニングに耐えるのですが、田口くんは珈琲が好きではなく、何のためのトレーニングなのか、よく分かりません。たぶん、最年少の弱みなのでしょう。夜も、夕食前に体幹トレーニングが待っています。田口くんは、やはり意味のない動きを続けていました。これが企業だったら、パワハラギリギリのラインなんじゃないかと思います。
こうして、集団での生活というのは、その長さやメンバーにもよるとは思いますが、ひとりでの生活や家族との生活と同じようにはいかないものです。
非常に極端な例えではありますが、日常での生活を突然奪われた避難所での生活や仮設住宅での生活は、比べものにならないほど気を遣い、遠慮と譲り合いの生活なのだと思います。それが5年以上です。
セリフの中に『被災した人たちの気持ちにはなれないけれど、その時の状況を想像して動けって言いましたよね。』というのがあります。今は、同じ事を『5年間、仮設住宅で暮らしている人たちの気持ちにはなれないけれど、今もそこで過ごさなければならない状況を想像しながら』伝えなければいけないんじゃないかと思うのです。
舞台上で3人が発しているセリフは、あの頃に『ダレカ』が言ったコトバであり『ダレカ』に伝えたい想いだったのです。そのコトバを僕たちが『ダレカ』に変わって言うのであれば、それは、その思いを想像しながら伝えなければ、伝わらないコトバ(セリフ)なのだと思うのです。毎回の公演で『コトバだけがひとり歩きしていないか?』という事を考えなければいけないのだと思うのです。
これまでもそうでしたが、何度も繰り返して稽古をし、その時に感じている事が伝わるようにセリフを変えています。2011年に2人芝居から始まり、2015年の公演まで、舞台が始まる前に前説をしていました。携帯電話の電源を切ってもらう事や非常口を伝える事と、もうひとつ、2011年の11月頃という舞台設定を前説(文字通り前もって説明)していました。
あの頃の石巻では、長い避難所生活からようやく仮設住宅に移り、支援の形が大きく変化していた頃でした。寒くなるごとにボランティアの数が減っていました。ボランティア活動の拠点として僕たちが使わせてもらっていたのは、被災したビルの倉庫でした。それらを前もって説明し、より伝わりやすい中でお芝居を始めていました。本来お芝居ではやるべき事ではないのですが、見に来てくれた人に疑問なく伝わる事に重きをおいていました。
今年のSMBCホールでの公演では前説を辞めて、そういった状況を、セリフの中にほんのり足しました。足したセリフ、引いたセリフ、これまで大きくセリフを変える事は、ほとんどありませんでしたが、小さくは何度も変えてきました。
ただ、一度だけ大きく変えたことがありました。
震災から3年以上が経ち、高台移転が進まず仮設住宅に暮らしたままなのに、町の風景がどんどん変わっていった頃でした。
それまでは、飯田ヒトシのコトバは
『少しづつ復興に向かっていますが、今も流れている石巻の時間を、これからも伝えていこうと思っています。在校生の皆さん、また話をしにきます。』
ヒトシが、また話をしに来ます。と言っていました。そのコトバを大きく変えました。
『復興に向かって変わっていく風景があります。変わらないままの風景があります。変えたくないと思っても変わってしまう風景があります。在校生のみなさん、いつか、石巻に行ってみて下さい。そして、今度はみなさんが誰かに話をして下さい。』
震災から5年半以上が経って、もちろん地元の人たちが望んでいる事ではありますが、あの頃の風景というのは、ほんのわずかしか残されていません。あの頃の風景を知っている人たちの目に写る今の風景と、これから訪れた人たちが目にする風景では、当たり前ですが、感じることは大きく違ってくるのだと思うのです。
舞台【イシノマキにいた時間】という形で、あの頃の石巻を伝える活動をしてきました。その活動を続けると決めた時に、いろんな覚悟を決めたような気がします。これまでの生き方を変えるつもりはありませんでしたが、これまで送っていた生活は少なからず変えないといけないという覚悟だったように思うのです。
ヒトシとは違って、ヤスとヒロキのコトバはほとんど変わっていません。それは、ヒトシだけが現在進行形で時間が流れていくのに対して、お芝居の中のヤスとヒロキは、あの頃で時間が止まっているからです。
ヤスのコトバに
『あれから10ヶ月だぞ、1年経ってないんだぞ。』
とあります。コトバが変わらないから、時間が引き戻されて届けられる思いもあると思っています。コトバに含まれている意味は、毎回の公演ごとに
『あれから1年だぞ』
『あれから3年だぞ』
『あれから5年だぞ』
として伝わるようにと願っています。
このお芝居を、ずっと続けられるとは思っていません。お芝居としての引き際は、もしかしたらとっくに過ぎているのかもしれません。ものすごく個人的な思いであり、乱暴な表現なのかもしれませんが、あの頃のボランティア活動も、このお芝居も、結局は自分を納得させるためにやっているのだと思うのです。
今年、このタイミングで、台風の被害が大きかった南富良野で公演できた事、しかも、当初の会場は、保健福祉センター『みなくる』の予定でしたが、復旧が間に合わず、ボランティアセンターとして活動拠点となっていた町民体育館で公演できたことは、関係者のみなさんの大きな大きな力があったからで、ただただ感謝です。
照明がなくても、お芝居が届けられればいいと思っていましたが、そこは、富良野GROUPのみなさんの絶大なるマンパワーを見せてもらいました。1日にして町民体育館に出来たのは、見事な劇場でした。
南富良野の会場だけでなく、北海道各地で、この公演を支えてくれた富良野塾OB、富良野GROUPのみなさんの仕込みとバラシは見事でした。
下北沢のGeki地下Libertyで始まった【イシノマキにいた時間】は、南富良野公演で、99回の公演になったそうです。これまで関わってくれた全てのみなさん、本当にありがとうございました。
是非、あわせて読んで欲しい田口くんの公演場所ごとの活動報告です。
富良野演劇工場
滝川公演
上富良野公演
置戸町公演
http://ishinomakitime.blog.fc2.com/blog-entry-542.html
また、福島カツシゲのBlog『起志快晴』でも、公演の様子と、それ以上にオッサンたちの様子を書いています。よろしかったら、是非。
福島カツシゲBlog「起志快晴」
http://leader2940.blog59.fc2.com/